2007年11月30日
賞味期限について
今年は食品に関して消費者の信頼を裏切る事件が多かった。昨日、静岡のニュースで業者の勉強会について報じていたが、現状と法のギャップに苦労しているようだった。
だいぶ前であるが、「賞味期限」切れを無視して再利用や再販売した問題に対して福田首相が「賞味期限が短すぎる」といったのはおかしい。確かに現状では「賞味期限」を過ぎた食品を食べても異常は生じないと思うが、規則で決まっていることだからそれに従うことは当然だと思う。
「食の安全」の観点から決められたものは守るべきだ。ただ、個人的な考えであるが、スーパーなどに夕方行くと「賞味期限」切れに近い商品を2,3割引で売っているが、これはある意味でよい手段だと思う。
消費者はそれを承知して安く購入する、一方店側は儲けは無くなる(少なくなる?)が売れ残りは減る。それぞれが多少のリスクを分担するわけである。
他人に与える場合は問題もあるが実際、けっこう購入する人もいることからこのシステムが広がると良いと思う。
一方、地鶏など原材料を偽って表示することは「信頼」を無視するものであり、言語道断である。ただ、先日のシュウマイに含まれる材料比率の表示順が誤っていたため全ての商品を廃棄したのには驚いた。中身が変わったわけではないのでなんとも"もったいない"と感じた。
だいぶ前であるが、「賞味期限」切れを無視して再利用や再販売した問題に対して福田首相が「賞味期限が短すぎる」といったのはおかしい。確かに現状では「賞味期限」を過ぎた食品を食べても異常は生じないと思うが、規則で決まっていることだからそれに従うことは当然だと思う。
「食の安全」の観点から決められたものは守るべきだ。ただ、個人的な考えであるが、スーパーなどに夕方行くと「賞味期限」切れに近い商品を2,3割引で売っているが、これはある意味でよい手段だと思う。
消費者はそれを承知して安く購入する、一方店側は儲けは無くなる(少なくなる?)が売れ残りは減る。それぞれが多少のリスクを分担するわけである。
他人に与える場合は問題もあるが実際、けっこう購入する人もいることからこのシステムが広がると良いと思う。
一方、地鶏など原材料を偽って表示することは「信頼」を無視するものであり、言語道断である。ただ、先日のシュウマイに含まれる材料比率の表示順が誤っていたため全ての商品を廃棄したのには驚いた。中身が変わったわけではないのでなんとも"もったいない"と感じた。
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21:40
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2007年11月28日
今年は寒いが・・・
暖冬であった昨年とは違って今年は寒い。今日は久しぶりの雨が降り、外に出るととても寒かった。
ところが富士山の雪を見ると意外に今年は少ない。一昨日、友人の方が朝霧高原で撮影した富士山の写真を送ってくれたが、ふもとの牧場から見る頂上付近の雪はやはり少ない。
(今年11/26 朝霧高原にて)
(昨年11/15 船越堤公園にて)
今日の寒さと雨で冠雪は増えたかもしれないが、地上の気候とは必ずしもリンクしないようだ。
ところが富士山の雪を見ると意外に今年は少ない。一昨日、友人の方が朝霧高原で撮影した富士山の写真を送ってくれたが、ふもとの牧場から見る頂上付近の雪はやはり少ない。


今日の寒さと雨で冠雪は増えたかもしれないが、地上の気候とは必ずしもリンクしないようだ。
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19:22
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2007年11月27日
干し柿作り Part Ⅱ
干し柿が出来上がった。干した期間は2週間余り。あめ色で柔らかく、甘みもたっぷり。我ながら良くできたと思う。
これに味をしめて、先日の清水農業祭りと義理の母が入手してくれた渋柿41個で再び干し柿作りに挑戦。

祭り会場でもらった「干し柿作り」のレシピでは"塩の添加"については触れていなかったが、熱湯に約4秒間漬けると殺菌できて、早く乾燥しきれいにできると書いてあった。
妻とも話をしたが、昨年まで住んでいた茨城では「干し柿作り」は話題にならず、渋柿も売ってはいなかったと思う。
おいしい干し柿がこんなに簡単に安くできることを喜んでいる。
これに味をしめて、先日の清水農業祭りと義理の母が入手してくれた渋柿41個で再び干し柿作りに挑戦。

祭り会場でもらった「干し柿作り」のレシピでは"塩の添加"については触れていなかったが、熱湯に約4秒間漬けると殺菌できて、早く乾燥しきれいにできると書いてあった。
妻とも話をしたが、昨年まで住んでいた茨城では「干し柿作り」は話題にならず、渋柿も売ってはいなかったと思う。
おいしい干し柿がこんなに簡単に安くできることを喜んでいる。
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18:55
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2007年11月25日
清水農業まつり
昨日までの寒さも和らぎ、風もなくきれいに晴れた連休最終日。JAしみずの"清水農業祭り"に出かけた。
朝9時開会式とのことで8時50分ごろドリームプラザ・イベント広場に到着したがすでに会場は大賑わい。

大根・白菜トマト他の野菜、みかん・柿・キウイなどの果物、ヨモギ饅頭他のお菓子、各種弁当・漬物、お茶などを売るテントがたくさん並んでいる。バラも清水の特産であることを初めて知った。
イベント広場での開催は3年目ということだが、アクセスが良いので次から次へと会場に入る人が続いた。
午後1時過ぎ、再び出向いたところ人は相変わらず多かったが、すでに売り切れのものもあり朝に比べて商品は少なくなっていた。それでもステージで行われているクイズなどで歓声が上がっていた。
朝9時開会式とのことで8時50分ごろドリームプラザ・イベント広場に到着したがすでに会場は大賑わい。

大根・白菜トマト他の野菜、みかん・柿・キウイなどの果物、ヨモギ饅頭他のお菓子、各種弁当・漬物、お茶などを売るテントがたくさん並んでいる。バラも清水の特産であることを初めて知った。
イベント広場での開催は3年目ということだが、アクセスが良いので次から次へと会場に入る人が続いた。
午後1時過ぎ、再び出向いたところ人は相変わらず多かったが、すでに売り切れのものもあり朝に比べて商品は少なくなっていた。それでもステージで行われているクイズなどで歓声が上がっていた。
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18:44
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2007年11月24日
木版画・鰯雲
一ヶ月ほど前、清水・港橋の巴川付近で見かけた夕方の空いっぱいに広がる"鰯雲"をこのブログで紹介しましたが、これを木版画で再現してみました。

大きさは21cmx13cmくらいで版木の数は4枚です。もっと夕焼けをうまく表現できれば良いと思いますがこれは力量不足です。

大きさは21cmx13cmくらいで版木の数は4枚です。もっと夕焼けをうまく表現できれば良いと思いますがこれは力量不足です。
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20:36
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2007年11月23日
後部座席のシートベルト着用
一週間ほど前、確か静岡新聞であったと思うが"自動車の後部座席のシートベルト着用の義務化"が載っていた。運転者と助手席のシートベルト着用はようやく"常識化"してきており、後部座席でも使ったほうが良いとは思うものの"義務化"は本当なのかと思っていた。
昨日の朝日新聞に「後部座席のシートベルト着用は道路交通法改正で来年6月までに義務化される」という記事が出ていた。後部座席のシートベルト着用の有効性について事例を紹介していたので以下そのまま転載する。
同乗者に対して着用の習慣化を今からしていったほうが良いと思う。
生死分けるのはシートベルト 救急12年、現場が実証(朝日新聞11/22の記事)
衝突した車の中で、命を落とす人とかすり傷ですむ人と。福島県郡山市の太田西ノ内病院救命救急センターの篠原一彰所長(44)は数々の交通事故現場へ急行し、そんな落差を見続けてきた。「運命を分けたのは、シートベルト」。12年にわたる事例の積み重ねを元に、その重要性を伝えている。
「カローラでシートベルトをして通勤する人と、ベンツの後部座席でベルトをせず、平社員に送迎される社長。どっちが危ないでしょう」
今月、福島県内であった交通安全イベントの講演。篠原さんの問いに、会場の多くは「ベンツ」で手を挙げた。「よくわかっていらっしゃる」
「この会場にタクシーで来た人でシートベルトをした人は?」には、手が挙がらず。「私くらいのものですね」とやって笑いを誘い、「笑い事じゃないですよ」。
スクリーンに事故車両が映し出された。
時速15キロで木に衝突した乗用車。フロントガラスの助手席前にだけひびが広がる。ベルトをせず、衝突時にダッシュボードについた左腕が、飛び出してきたエアバッグにはね上げられ、フロントガラスとの間にはさまれて「皮一枚でつながっている」状態に。15時間の手術で治したという。「たった時速15キロで腕を失いかけた。運転席の人はかすり傷です」
およそ30もの実例を次々と映していく。
ミキサー車と正面衝突した乗用車で運転手がはさまれていた現場では、後部座席に頭から血を流した遺体がある一方で、助手席の人はけがもなく歩いて帰った。「運命を分けたのはシートベルト。そういう例をたくさん見てきた」
同センター勤務となったのは95年。広域をカバーするため、緊急時はドクターカーで現場に駆けつける。「同じ事故車の中にいたのに、人によってあまりに結果が違う」のを目の当たりにする中、事故状況も含めた詳細なデータをとり続けた。乗用車で事故にあった患者だけでも約4200もの症例を積み重ねた(今年6月時点)。
軽自動車と普通乗用車の違い、エアバッグの有無と重傷度の関係など様々に研究してきたが、結論はやはり「シートベルトが運命を左右する」。
医学系の学会で発表するうちに自動車工学系の学会に呼ばれるように。大手自動車メーカーからも講演依頼が舞い込む。
「難しいことを言ってるわけじゃない。どの車にもついているものを使うだけでいいんです」。聴衆にそう語りかける。
■「後部は安全」は誤解
太田西ノ内病院救命救急センターが、交通事故で運ばれてきた患者で車の前席にいた人と後部座席にいた人の重傷度を比べたところ、後部の人の方が重いけがを負う傾向があることがわかった。「シートベルト着用率の低さが要因」と同センターは推測している。
95年7月~今年6月に搬送された患者4182例について比較した。けがの部位ごとに比較すると、顔面、胸部、腹部、手足では統計上の差は表れなかったが、頭と首の部分で重傷以上になった率は後部座席の11.1%に対し、前席は7.9%。シートベルトの着用率は、後部座席はわずか11.6%(前席は71.5%)だった。
後部でベルトを着けていた場合、死亡率と集中治療室に入るほどの重傷率はともに1.4%。非着用だとそれぞれ3.8%、10%にはねあがる。
データをまとめた篠原所長は「後部座席はしなくても安全というのは誤解だ」と指摘する。
昨日の朝日新聞に「後部座席のシートベルト着用は道路交通法改正で来年6月までに義務化される」という記事が出ていた。後部座席のシートベルト着用の有効性について事例を紹介していたので以下そのまま転載する。
同乗者に対して着用の習慣化を今からしていったほうが良いと思う。
生死分けるのはシートベルト 救急12年、現場が実証(朝日新聞11/22の記事)
衝突した車の中で、命を落とす人とかすり傷ですむ人と。福島県郡山市の太田西ノ内病院救命救急センターの篠原一彰所長(44)は数々の交通事故現場へ急行し、そんな落差を見続けてきた。「運命を分けたのは、シートベルト」。12年にわたる事例の積み重ねを元に、その重要性を伝えている。
「カローラでシートベルトをして通勤する人と、ベンツの後部座席でベルトをせず、平社員に送迎される社長。どっちが危ないでしょう」
今月、福島県内であった交通安全イベントの講演。篠原さんの問いに、会場の多くは「ベンツ」で手を挙げた。「よくわかっていらっしゃる」
「この会場にタクシーで来た人でシートベルトをした人は?」には、手が挙がらず。「私くらいのものですね」とやって笑いを誘い、「笑い事じゃないですよ」。
スクリーンに事故車両が映し出された。
時速15キロで木に衝突した乗用車。フロントガラスの助手席前にだけひびが広がる。ベルトをせず、衝突時にダッシュボードについた左腕が、飛び出してきたエアバッグにはね上げられ、フロントガラスとの間にはさまれて「皮一枚でつながっている」状態に。15時間の手術で治したという。「たった時速15キロで腕を失いかけた。運転席の人はかすり傷です」
およそ30もの実例を次々と映していく。
ミキサー車と正面衝突した乗用車で運転手がはさまれていた現場では、後部座席に頭から血を流した遺体がある一方で、助手席の人はけがもなく歩いて帰った。「運命を分けたのはシートベルト。そういう例をたくさん見てきた」
同センター勤務となったのは95年。広域をカバーするため、緊急時はドクターカーで現場に駆けつける。「同じ事故車の中にいたのに、人によってあまりに結果が違う」のを目の当たりにする中、事故状況も含めた詳細なデータをとり続けた。乗用車で事故にあった患者だけでも約4200もの症例を積み重ねた(今年6月時点)。
軽自動車と普通乗用車の違い、エアバッグの有無と重傷度の関係など様々に研究してきたが、結論はやはり「シートベルトが運命を左右する」。
医学系の学会で発表するうちに自動車工学系の学会に呼ばれるように。大手自動車メーカーからも講演依頼が舞い込む。
「難しいことを言ってるわけじゃない。どの車にもついているものを使うだけでいいんです」。聴衆にそう語りかける。
■「後部は安全」は誤解
太田西ノ内病院救命救急センターが、交通事故で運ばれてきた患者で車の前席にいた人と後部座席にいた人の重傷度を比べたところ、後部の人の方が重いけがを負う傾向があることがわかった。「シートベルト着用率の低さが要因」と同センターは推測している。
95年7月~今年6月に搬送された患者4182例について比較した。けがの部位ごとに比較すると、顔面、胸部、腹部、手足では統計上の差は表れなかったが、頭と首の部分で重傷以上になった率は後部座席の11.1%に対し、前席は7.9%。シートベルトの着用率は、後部座席はわずか11.6%(前席は71.5%)だった。
後部でベルトを着けていた場合、死亡率と集中治療室に入るほどの重傷率はともに1.4%。非着用だとそれぞれ3.8%、10%にはねあがる。
データをまとめた篠原所長は「後部座席はしなくても安全というのは誤解だ」と指摘する。
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20:18
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2007年11月22日
秋の桜エビ漁
駿河湾で秋の桜エビ漁が行われている。
夕方のあさひTVの"食彩王国"で「桜えび」に関することを放送していた。「桜えび」漁の起源は112年前で、「アジ」漁を行うとき浮きを付け忘れ、沈んでしまった網を引き上げたところ"偶然"に大量の「桜えび」が取れたことだそうだ。
この「桜えび」は駿河湾の200~300m深さでのみ獲れるが、これは富士川、安倍川、大井川、富士山の雪解け水に含まれる滋養に富んだ水によるものという。
春、秋の漁期には漁協に所属する漁船が多数出漁するが、ある漁船で大漁だった場合、不漁であった漁船にも皆平等に分配し、乱獲を避けているそうだ。
甘いすき焼き風のたれに桜えび、豆腐、ねぎを入れて煮込んだ漁師料理「沖あがり」は絶品で、私もこの春、由比港で食べたがとてもおいしかった。
富士川の川原をピンクに染めた桜えびの乾燥風景はよく写真で見るが、桜えびは干すことによってアミノ酸が3倍に凝縮されるので、よりおいしくなるそうだ。
桜えびがたっぷり入ったかき揚げ丼やお好み焼きを食べたくなる。
夕方のあさひTVの"食彩王国"で「桜えび」に関することを放送していた。「桜えび」漁の起源は112年前で、「アジ」漁を行うとき浮きを付け忘れ、沈んでしまった網を引き上げたところ"偶然"に大量の「桜えび」が取れたことだそうだ。
この「桜えび」は駿河湾の200~300m深さでのみ獲れるが、これは富士川、安倍川、大井川、富士山の雪解け水に含まれる滋養に富んだ水によるものという。
春、秋の漁期には漁協に所属する漁船が多数出漁するが、ある漁船で大漁だった場合、不漁であった漁船にも皆平等に分配し、乱獲を避けているそうだ。
甘いすき焼き風のたれに桜えび、豆腐、ねぎを入れて煮込んだ漁師料理「沖あがり」は絶品で、私もこの春、由比港で食べたがとてもおいしかった。
富士川の川原をピンクに染めた桜えびの乾燥風景はよく写真で見るが、桜えびは干すことによってアミノ酸が3倍に凝縮されるので、よりおいしくなるそうだ。
桜えびがたっぷり入ったかき揚げ丼やお好み焼きを食べたくなる。
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20:20
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2007年11月21日
ちょっと珍しい信号
急に寒くなり、散歩するにも今までより一枚多く着るようになった。今まで歩いたことのない住宅地で見慣れない形の信号機に出会った。

幅3mほどの道路が交差する四つ角の真上に、一見UFOのように吊り下げられた"一つ目"の信号である。赤信号と黄色の信号の点滅である。
閑静な住宅内でカーブミラーもあるのに今までよほど事故が多かったのだろう。

幅3mほどの道路が交差する四つ角の真上に、一見UFOのように吊り下げられた"一つ目"の信号である。赤信号と黄色の信号の点滅である。
閑静な住宅内でカーブミラーもあるのに今までよほど事故が多かったのだろう。
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19:19
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2007年11月20日
拾ったものは・・・
昨夜のテレビで来月10日から"遺失物法"が50年ぶりに改正されるというニュースが報じられた。
現在、拾ったものを警察に届け、落とし主が現れないと約半年後に拾得者に渡されるということは良く知られている。
今回の改正ではこの期間が3ヶ月に短縮されるそうだ。これには二つの背景があり、ひとつは落とし主が気づいて警察に届け出る日数は99.8%が3ヶ月以内であることおよび忘れ物多く、保管場所に困ることが挙げられている。すでに傘などは2週間で処分されているそうだ。
最近多い忘れ物は携帯電話で昨年県内では6552台あったそうだ。携帯電話の場合は個人情報保護のこともあり、拾った人には手渡されなく3ヶ月で廃却処分されるという。キャッシュカードも同様だ。
物が余り、大切にしなくなったことは残念だが、時代に即した速やかな法律改正は良いことだと思う。
現在、拾ったものを警察に届け、落とし主が現れないと約半年後に拾得者に渡されるということは良く知られている。
今回の改正ではこの期間が3ヶ月に短縮されるそうだ。これには二つの背景があり、ひとつは落とし主が気づいて警察に届け出る日数は99.8%が3ヶ月以内であることおよび忘れ物多く、保管場所に困ることが挙げられている。すでに傘などは2週間で処分されているそうだ。
最近多い忘れ物は携帯電話で昨年県内では6552台あったそうだ。携帯電話の場合は個人情報保護のこともあり、拾った人には手渡されなく3ヶ月で廃却処分されるという。キャッシュカードも同様だ。
物が余り、大切にしなくなったことは残念だが、時代に即した速やかな法律改正は良いことだと思う。
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20:54
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2007年11月19日
おいべっさん
今日、明日は巴川・港橋すぐ近くの西宮神社の”おいべっさん”のお祭り。午後3時過ぎ散歩がてらに出かけたところ、商売繁盛や家内安全のお飾りを買い求め、胸に抱えて帰る人がすでに何人か見られた。
港橋の上や末廣前から清水銀行先の交差点までのさつき通りにもお飾りを売る店、食べ物他の屋台がたくさん出ておりそのにぎやかさに驚く。次郎長通りのお店は夜に備えて準備中であった。

西宮神社には水蛭子(えびす)大神が祀られていることから地域の人々が尊敬と親しみの気持ちを込めて「おえびすさん」=>「おえべっさん」=>「おいべっさん」と呼ばれるようになったそうだ。今夜は夜を徹した参拝客があるという。
子供の頃、おじいさんが"服の仕立て屋"を営んでいたので、場所は定かではないが、”おいべっさん”のお飾りを買いに連れて行ってもらった覚えがある。お飾りについている"小判"が欲しかったが、古いお飾りは神社に返すことになっているのでもらえなかった思い出がある。
港橋の上や末廣前から清水銀行先の交差点までのさつき通りにもお飾りを売る店、食べ物他の屋台がたくさん出ておりそのにぎやかさに驚く。次郎長通りのお店は夜に備えて準備中であった。

西宮神社には水蛭子(えびす)大神が祀られていることから地域の人々が尊敬と親しみの気持ちを込めて「おえびすさん」=>「おえべっさん」=>「おいべっさん」と呼ばれるようになったそうだ。今夜は夜を徹した参拝客があるという。
子供の頃、おじいさんが"服の仕立て屋"を営んでいたので、場所は定かではないが、”おいべっさん”のお飾りを買いに連れて行ってもらった覚えがある。お飾りについている"小判"が欲しかったが、古いお飾りは神社に返すことになっているのでもらえなかった思い出がある。
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18:39
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2007年11月17日
朝晩寒くなって・・・今年も終わり
静岡でも朝晩はかなり冷え込む季節となった。11月半ばで、まだ一年の日数からみれば1割がも残っているのになんとなく"今年も終わり"と言う気持ちが強くなる。
歳を重ねるごとに、一年一年が早く過ぎ去るように感じる。先ほど起きたばかりなのに、もう夜がきてしまう。いろいろなことに夢中になっているから早く過ぎ去るように思うのだろうか。

東京の表参道に「クリスマスの電飾」が飾られたという映像がテレビで流されたが、清水・エスパルスドリームプラザの周辺の木々は先週から夜になるときれいな光を放つようになった。東京や神戸などの豪華さはないが、このような夜景を見るとますます年末が近づいたことを実感する。
歳を重ねるごとに、一年一年が早く過ぎ去るように感じる。先ほど起きたばかりなのに、もう夜がきてしまう。いろいろなことに夢中になっているから早く過ぎ去るように思うのだろうか。

東京の表参道に「クリスマスの電飾」が飾られたという映像がテレビで流されたが、清水・エスパルスドリームプラザの周辺の木々は先週から夜になるときれいな光を放つようになった。東京や神戸などの豪華さはないが、このような夜景を見るとますます年末が近づいたことを実感する。
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20:24
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2007年11月16日
床に出現した屏風絵
静岡県立美術館エントランスホールの床に巨大な屏風絵が展示されている。

これは美術館所有の伊藤若冲作「樹花鳥獣図屏風」を"実技室講座絵画ワークショップに参加された子供さんや親御さんが2日間にわたり制作したもの。
写真ではわかりにくいが、8cm四方のスチレンボード7800枚を組み合わせたもので、11mx6mの屏風絵となっている。11/18(日)まで展示されている。

これは美術館所有の伊藤若冲作「樹花鳥獣図屏風」を"実技室講座絵画ワークショップに参加された子供さんや親御さんが2日間にわたり制作したもの。
写真ではわかりにくいが、8cm四方のスチレンボード7800枚を組み合わせたもので、11mx6mの屏風絵となっている。11/18(日)まで展示されている。
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19:32
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2007年11月14日
またまた富士山&豪華客船
豪華客船「ぱしふぃっくびーなす」号が今年2度目の清水港入港。仙台の旅行会社の
クルーズで仙台、高松を回って今夕清水から小名浜に向かうという。
(冠雪した富士山をバックに入港するぱしふぃっくびーなす号)
昨年から何回か、清水港に入る大型船や帆船の写真を撮影してきたが、初めて雪の
富士山をバックとした絵を撮ることができた。
人間ひとつの欲望を満足するとさらなる欲が発生するもので、富士山の雪がもっとたくさ
んあればと思ってしまう。

夕方、この船の出航を見ようと再度出かけたが、予定の18時を過ぎても舫綱を解く様
子もないので帰ってきてしまった。
12/13,1/7に「飛鳥Ⅱ」が入港する予定。その頃には富士山の雪ももっと増えてよい景
色が見られると思うが、天候にも影響するのでクルーズで清水に来られる人のためにも今
から好天に恵まれることを祈っている。
クルーズで仙台、高松を回って今夕清水から小名浜に向かうという。

昨年から何回か、清水港に入る大型船や帆船の写真を撮影してきたが、初めて雪の
富士山をバックとした絵を撮ることができた。
人間ひとつの欲望を満足するとさらなる欲が発生するもので、富士山の雪がもっとたくさ
んあればと思ってしまう。

夕方、この船の出航を見ようと再度出かけたが、予定の18時を過ぎても舫綱を解く様
子もないので帰ってきてしまった。
12/13,1/7に「飛鳥Ⅱ」が入港する予定。その頃には富士山の雪ももっと増えてよい景
色が見られると思うが、天候にも影響するのでクルーズで清水に来られる人のためにも今
から好天に恵まれることを祈っている。
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19:30
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2007年11月13日
今日も富士山
グランシップでのボランティア。今朝の挨拶は「富士山がとてもきれい」。静岡に住み、いつも見慣れている人も富士山の様子はやはり気になるようだ。グランシップ4階のサポーター(ボランティア)室から見る富士山は雪をかぶり、青空の中にくっきりとそびえている。
(グランシップ4階9時過ぎ)
昼頃からは雲が流れてきて、3時過ぎには中腹に横に長い雲が出て、これもなかなかの景色。
(グランシップ東側、15時半過ぎ)
今日の作業は小さなシールをパンフレットに貼るものが主体で、すっかり肩が凝ってしまった。それでも帰りはこの富士山に魅せられて、歩いて帰宅。
静鉄運動場前まではJRに沿って、その後は南幹線道路を東に向かう。有度坂のジャスコ付近では沈みかかった日の光を受けた富士山が見られた。自宅まで要した時間は1時間20分。帰宅後、「地図測」のソフトで距離を測ったところ約7.3km。

昼頃からは雲が流れてきて、3時過ぎには中腹に横に長い雲が出て、これもなかなかの景色。

今日の作業は小さなシールをパンフレットに貼るものが主体で、すっかり肩が凝ってしまった。それでも帰りはこの富士山に魅せられて、歩いて帰宅。
静鉄運動場前まではJRに沿って、その後は南幹線道路を東に向かう。有度坂のジャスコ付近では沈みかかった日の光を受けた富士山が見られた。自宅まで要した時間は1時間20分。帰宅後、「地図測」のソフトで距離を測ったところ約7.3km。
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2007年11月12日
今朝の富士山
かなり風の強い一日。このような日には富士山がきれいに見える。今日の散歩はいつもと違って大曲交差点まで行き、そこから清水駅に向かう。国道1号線の正面に富士山が見えるが頂上付近は雲で隠れている。
JR清水駅のコンコース、河岸の市、日の出埠頭で見る富士山も雲がかかっていた。イベント広場の上では望遠レンズで雲の切れ間を待っている人も見られた。
(メールで届いた今朝の富士山)
妻のお友達のご主人が葵区池ケ谷から撮影してくれた富士山の写真をメールで送ってくれた。朝7時前の写真で、山並みの上に朝日を受けた姿は勇壮そのもの。
JR清水駅のコンコース、河岸の市、日の出埠頭で見る富士山も雲がかかっていた。イベント広場の上では望遠レンズで雲の切れ間を待っている人も見られた。

妻のお友達のご主人が葵区池ケ谷から撮影してくれた富士山の写真をメールで送ってくれた。朝7時前の写真で、山並みの上に朝日を受けた姿は勇壮そのもの。
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19:07
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2007年11月10日
干し柿を作った
今が盛りの柿が大好き。昨年まで住んでいた茨城には献上柿なるものもあり、この時期は良く食べていた。
今日、妻のお友達から立派な富有柿が送られてきて、しばらく楽しみが続く。同時に依頼しておいた"渋柿"が入手でき、昨年姉に教えられて味をしめた「干し柿」作りを行った。2kg、計18個をむき、タコ糸で縛って塩を入れた沸騰した湯に通して、外で乾燥という簡単なもの。渋柿の皮をむくと鉄製の包丁は"渋"で真っ黒になる。

吊るした柿は2日ほどしたら繰り返し軽く揉んで実と種を分離させると良いそうだ。
私はとろけるような柔らかな干し柿が、妻は乾燥した硬い干し柿が好みでしばらくすると争奪戦が始まる。
今日、妻のお友達から立派な富有柿が送られてきて、しばらく楽しみが続く。同時に依頼しておいた"渋柿"が入手でき、昨年姉に教えられて味をしめた「干し柿」作りを行った。2kg、計18個をむき、タコ糸で縛って塩を入れた沸騰した湯に通して、外で乾燥という簡単なもの。渋柿の皮をむくと鉄製の包丁は"渋"で真っ黒になる。

吊るした柿は2日ほどしたら繰り返し軽く揉んで実と種を分離させると良いそうだ。
私はとろけるような柔らかな干し柿が、妻は乾燥した硬い干し柿が好みでしばらくすると争奪戦が始まる。
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2007年11月09日
子供さんたちが楽しんで描く
県立美術館実技室でのボランティア。今日は子供さんたちが来館して「大地」に絵を描く予定だったが、ちょっと寒いので実技室内でビニールシートをキャンバスにして描くことに変更。
午前は駿河区の小学5年生の男女70名余が参加。小学校高学年ともなるとさすがに身体は大きい。午後は清水区の幼稚園生30名が来館。小学生と比べるとかわいいの一言。
(準備体操;壁に貼ったビニールに自由に描く)
プログラムの内容は午前、午後とも同じで、2mx0.8mほどの2枚のビニールシートに自分たちの絵を描くというもの。二人が寝転んで、その上にシートを乗せ、残りの二人が下の子供さんの姿を写し取った後、これに彩色していく。
小学生はさすがにそれなりの絵を描き、女の子はきっちりとした、かなり正確にきれいに描く。一方、男の子は途中からは奔放な書き方に変わっていく。この辺の違いがわかっていても面白い。
園児は男女の差はほとんど見られない。
後半、顔や手に絵の具をいっぱいつけて楽しむ姿は園児も小学生も同じ。
実技室の床はこぼれたものや手足についた絵の具がつくが、小学生にはこの掃除までやってもらう。
各グループとも1時間半余りで行うので、実技室の中でもきついプログラムといわれており、スタッフも終わるとホッとするそうだ。
いつもは使わない筋肉を酷使するのでこのボランティアの後は2日間ほど身体の節々が痛い。でも楽しい。
午前は駿河区の小学5年生の男女70名余が参加。小学校高学年ともなるとさすがに身体は大きい。午後は清水区の幼稚園生30名が来館。小学生と比べるとかわいいの一言。

プログラムの内容は午前、午後とも同じで、2mx0.8mほどの2枚のビニールシートに自分たちの絵を描くというもの。二人が寝転んで、その上にシートを乗せ、残りの二人が下の子供さんの姿を写し取った後、これに彩色していく。
小学生はさすがにそれなりの絵を描き、女の子はきっちりとした、かなり正確にきれいに描く。一方、男の子は途中からは奔放な書き方に変わっていく。この辺の違いがわかっていても面白い。
園児は男女の差はほとんど見られない。
後半、顔や手に絵の具をいっぱいつけて楽しむ姿は園児も小学生も同じ。
実技室の床はこぼれたものや手足についた絵の具がつくが、小学生にはこの掃除までやってもらう。
各グループとも1時間半余りで行うので、実技室の中でもきついプログラムといわれており、スタッフも終わるとホッとするそうだ。
いつもは使わない筋肉を酷使するのでこのボランティアの後は2日間ほど身体の節々が痛い。でも楽しい。
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19:24
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2007年11月08日
今日の清水港
10月の終わりごろから富士山の頂上に雪が見られるようになった。空がすっきり晴れることがまだ少ないので白い雪をかぶった富士山を見られるのはもう少し後になりそう。
昼食後、散歩がてらに清水港に出かけた。興津側に並ぶクレーンの上にぼんやりと富士山が見えた。
(いつものアングル)
清水港の遊覧船"プロムナード"が最近復活したとテレビで報じていた。イベント広場に向かって歩いていたら、ちょうど"プロムナード"が戻ってきたが、観光客が大勢下船してきた。特別のお弁当もあるそうで、これからは富士山を目当てにお客さんは増えると良いのだが・・・。
今日の清水港内の海はとても澄んでおり、小魚が良く見えた。自転車に乗ってきた二人のおじさんたちも驚いていたが何故であろうか。
昼食後、散歩がてらに清水港に出かけた。興津側に並ぶクレーンの上にぼんやりと富士山が見えた。

清水港の遊覧船"プロムナード"が最近復活したとテレビで報じていた。イベント広場に向かって歩いていたら、ちょうど"プロムナード"が戻ってきたが、観光客が大勢下船してきた。特別のお弁当もあるそうで、これからは富士山を目当てにお客さんは増えると良いのだが・・・。
今日の清水港内の海はとても澄んでおり、小魚が良く見えた。自転車に乗ってきた二人のおじさんたちも驚いていたが何故であろうか。
Posted by 風車 at
18:41
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2007年11月06日
北海道に行ってきました(2)
北海道に行ってきました(2)を11/4に書いたのですが、"記事の投稿"を忘れていました。順番が逆でも内容にはつながりの問題はありません。
北海道の旅、今回は食べ物篇。とは言っても全てを食べたわけではなく、バスガイドさんのコメントを含めて紹介する。

昼食はオプションを頼んだが、かなり量が多いうえバス乗りぱなしのため食べきれないこともあった。2日目の昼食は留萌の近くで食べたが、ジャガイモ尽くしでコロッケ、ジャガイモもち、ホタテの貝柱の刺身、鮭ご飯などでお腹いっぱい。
夕食は稚内の北市場にてかに定食。かに、鮭の焼き物などを楽しんだ。
3日目の昼食はホタテの養殖の本場・猿払でホタテ定食を食べた。ここの養殖はホタテの稚魚を海に吊るすのではなく、海で自由に泳がせて成長させるので肉が締まっていることが特徴とのこと。その代わり外敵であるヒトデの駆除がたいへんだったと言っていた。
4日目の昼食は釧路・フィッシャーマンズワーフという所で食べたが、ここではししゃもかホッケか迷ったが、ホッケ選択。油が乗った厚い肉に十分満足。食堂街以外のところを散策していたところ「さんまんま」なるものが目についた。これは開いてみりんを塗ったさんまで長細いごはんを海苔巻きのようにまいて焼き上げるもの。とてもおいしそうだったがお腹いっぱいで手が出なかった。
夜はホテルでのバイキング。かにの食べ放題、十勝牛のステーキ、珍しいものでは長芋、トマトの漬物もあった。
5日目の昼食はトンとろ丼を食べた。北海道出身の会社の同僚としゃぶしゃぶを食べたとき、北海道ではしゃぶしゃぶといえば"豚"であるといっていたことを思い出した。
朝はいずれもバイキングであったが、牛乳、ヨーグルトがおいしかった。
メロンの中身は赤であり、お土産用は5個7000円で売っていた。今年の夕張メロンの初物は1個200万円のご祝儀相場で取引されたと言う。
お菓子ではバターサンドで有名な六花亭のタルト(ストロベリー、ブルーベリー、マロン)がおいしかった。ただし生クリームが使われているので帯広の本店のみで手に入る。"ひとつ鍋"という最中にはお餅が入っている。最中好きの私にとってはベリーグッド。
北海道で作っているジャガイモには24種類あるそうで、この90%は"でんぷん"製造に使われるそうだ。また広大な畑では機械により大きな蕪に似た”ビート”を掘り起こしていたがこれもでんぷん工場に送られるとのこと。
日本海側でニシン番屋を見たが、江戸時代北海道では米ができなかったので松前藩ではニシン(鰊)を米の代わりに収めたそうで、"魚ではない"ことからニシンを漢字で「鯡」とも書くと言う。
今、北海道ではかなりおいしいお米ができるがその北限は名寄とのこと。ここでのもち米はなかなか用途が見つからなかったが、営業努力で「赤福」に使われるようになったとのこと。しかし今、大打撃を受けて困っているそうだ。あんこに用いる豆も十勝産であるがこちらは有名で引き手あまたなので問題ないそうだ。
このような問題は従業員だけではなく、原料の生産地にも影響・被害が及ぶことを改めて知った。
北海道の旅、今回は食べ物篇。とは言っても全てを食べたわけではなく、バスガイドさんのコメントを含めて紹介する。

昼食はオプションを頼んだが、かなり量が多いうえバス乗りぱなしのため食べきれないこともあった。2日目の昼食は留萌の近くで食べたが、ジャガイモ尽くしでコロッケ、ジャガイモもち、ホタテの貝柱の刺身、鮭ご飯などでお腹いっぱい。
夕食は稚内の北市場にてかに定食。かに、鮭の焼き物などを楽しんだ。
3日目の昼食はホタテの養殖の本場・猿払でホタテ定食を食べた。ここの養殖はホタテの稚魚を海に吊るすのではなく、海で自由に泳がせて成長させるので肉が締まっていることが特徴とのこと。その代わり外敵であるヒトデの駆除がたいへんだったと言っていた。
4日目の昼食は釧路・フィッシャーマンズワーフという所で食べたが、ここではししゃもかホッケか迷ったが、ホッケ選択。油が乗った厚い肉に十分満足。食堂街以外のところを散策していたところ「さんまんま」なるものが目についた。これは開いてみりんを塗ったさんまで長細いごはんを海苔巻きのようにまいて焼き上げるもの。とてもおいしそうだったがお腹いっぱいで手が出なかった。
夜はホテルでのバイキング。かにの食べ放題、十勝牛のステーキ、珍しいものでは長芋、トマトの漬物もあった。
5日目の昼食はトンとろ丼を食べた。北海道出身の会社の同僚としゃぶしゃぶを食べたとき、北海道ではしゃぶしゃぶといえば"豚"であるといっていたことを思い出した。
朝はいずれもバイキングであったが、牛乳、ヨーグルトがおいしかった。
メロンの中身は赤であり、お土産用は5個7000円で売っていた。今年の夕張メロンの初物は1個200万円のご祝儀相場で取引されたと言う。
お菓子ではバターサンドで有名な六花亭のタルト(ストロベリー、ブルーベリー、マロン)がおいしかった。ただし生クリームが使われているので帯広の本店のみで手に入る。"ひとつ鍋"という最中にはお餅が入っている。最中好きの私にとってはベリーグッド。
北海道で作っているジャガイモには24種類あるそうで、この90%は"でんぷん"製造に使われるそうだ。また広大な畑では機械により大きな蕪に似た”ビート”を掘り起こしていたがこれもでんぷん工場に送られるとのこと。
日本海側でニシン番屋を見たが、江戸時代北海道では米ができなかったので松前藩ではニシン(鰊)を米の代わりに収めたそうで、"魚ではない"ことからニシンを漢字で「鯡」とも書くと言う。
今、北海道ではかなりおいしいお米ができるがその北限は名寄とのこと。ここでのもち米はなかなか用途が見つからなかったが、営業努力で「赤福」に使われるようになったとのこと。しかし今、大打撃を受けて困っているそうだ。あんこに用いる豆も十勝産であるがこちらは有名で引き手あまたなので問題ないそうだ。
このような問題は従業員だけではなく、原料の生産地にも影響・被害が及ぶことを改めて知った。
Posted by 風車 at
18:43
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2007年11月05日
北海道に行ってきました(3)
北海道の思い出、最終回は北海道にまつわる人々です。5日間回ってみて感じたのはその大きさですが、同時にこの広い面積を今日のように牧場、畑、水田にまで開拓してきた人と歴史を考えざるを得ません。
北海道に携わる全ての人たちの努力の賜物と思いますが、とくに気候が厳しく、原野であった北のこの地を探検し、開墾に力を注いだ人としてバスガイドさんは、北海道を測量した間宮林蔵、北海道の名付け親であり、地図の原型を作成した松浦武四郎、十勝に入植し、開墾計画を立案・実行した依田勉三を挙げていました。
バスや自動車で回っても数日かかる広大な北海道を寒さに耐え、徒歩で探検、開墾に挑戦した先人の努力と強い精神に頭が下がります。
間宮林蔵は間宮海峡としてよく知られています。北海道に初めて行ったのは19歳のときであり、43歳まで23年間にわたり北海道を中心に活躍しています。2度にわたるカラフト探検、北海道全土を測量し伊能忠敬の「大日本沿海與地全図」の北海道部分を完成させたといわれています。
松浦武四郎は1844年に蝦夷地探検に出発し、択捉、カラフトまで足を延ばしています。10年後、再び蝦夷地を踏破し、明治に入った1869年には開拓判官としてこの地に"北海道"の名を与え、その後内陸部の何百本の川筋や膨大なアイヌ語地名を収めた「東西蝦夷地山川地理取調図」を完成させています。
依田勉三は1884年(明治16年)、総勢13戸27名で十勝に入植し、寒さの厳しい中悲惨な生活を送りながら開墾を始めています。ひとつの鍋で全ての煮炊きを行ったことから、仲間が「落ちぶれた極度が豚とひとつ鍋」と惨めさを詠んだ歌に対して「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」と切り返し、反骨精神を表した歌が有名です。「晩成社」として牧場を切り開いたり水田の造成に成功しますが、酪農事業や蒸気を利用した工場などの先進事業で赤字が膨らみ解散することになりました。
お菓子の六花亭の「マルセイバターサンド」のマルセイは晩成社を意味し、「ひとつ鍋」も最中の名前として残っています。
今回の旅行はほとんどが中部地方の方で、松浦武四郎が三重・松坂出身、依田弁三は私の住んでいる静岡・松崎町、間宮林蔵は昨年まで住んでいた茨城・伊奈町出身となんとなく縁のある人たちであることも不思議でした。
北海道に携わる全ての人たちの努力の賜物と思いますが、とくに気候が厳しく、原野であった北のこの地を探検し、開墾に力を注いだ人としてバスガイドさんは、北海道を測量した間宮林蔵、北海道の名付け親であり、地図の原型を作成した松浦武四郎、十勝に入植し、開墾計画を立案・実行した依田勉三を挙げていました。
バスや自動車で回っても数日かかる広大な北海道を寒さに耐え、徒歩で探検、開墾に挑戦した先人の努力と強い精神に頭が下がります。
間宮林蔵は間宮海峡としてよく知られています。北海道に初めて行ったのは19歳のときであり、43歳まで23年間にわたり北海道を中心に活躍しています。2度にわたるカラフト探検、北海道全土を測量し伊能忠敬の「大日本沿海與地全図」の北海道部分を完成させたといわれています。
松浦武四郎は1844年に蝦夷地探検に出発し、択捉、カラフトまで足を延ばしています。10年後、再び蝦夷地を踏破し、明治に入った1869年には開拓判官としてこの地に"北海道"の名を与え、その後内陸部の何百本の川筋や膨大なアイヌ語地名を収めた「東西蝦夷地山川地理取調図」を完成させています。
依田勉三は1884年(明治16年)、総勢13戸27名で十勝に入植し、寒さの厳しい中悲惨な生活を送りながら開墾を始めています。ひとつの鍋で全ての煮炊きを行ったことから、仲間が「落ちぶれた極度が豚とひとつ鍋」と惨めさを詠んだ歌に対して「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」と切り返し、反骨精神を表した歌が有名です。「晩成社」として牧場を切り開いたり水田の造成に成功しますが、酪農事業や蒸気を利用した工場などの先進事業で赤字が膨らみ解散することになりました。
お菓子の六花亭の「マルセイバターサンド」のマルセイは晩成社を意味し、「ひとつ鍋」も最中の名前として残っています。
今回の旅行はほとんどが中部地方の方で、松浦武四郎が三重・松坂出身、依田弁三は私の住んでいる静岡・松崎町、間宮林蔵は昨年まで住んでいた茨城・伊奈町出身となんとなく縁のある人たちであることも不思議でした。
Posted by 風車 at
19:43
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