2007年06月11日

加藤廣「秀吉の枷(下)」

 「秀吉の枷」の後半は、秀吉の周囲から一緒に成り上がった過去を持つ部下を徐々に排除し、内面では"信長暗殺の秘密"と若い"家康"の影に怯え、血縁の後継者作りと"茶々(淀の方)"の裏切りに悩み、豊臣家を築き上げた家臣を"信長"と同じように虐殺する姿が描かれている。

 最近の本には珍しく「あとがき」があり、ここで作者はこの歴史ミステリー執筆の基本姿勢として"勝者に悲哀を 敗者に美学を"と述べている。まさに"天下を取った秀吉の悲哀"そのものが伝わってくる。
 
 読み終わって「おもしろく,一気に読める」本という印象である。「信長の棺」、「秀吉の枷」の三部作として「明智左馬助の恋」が出版されており、"光秀の弟"として上巻で少しだけ出てくるがこれを読むのが楽しみ。

 なお、信長の本当の埋葬地は秀吉が主張した大徳寺か、織田家の歴代の菩提寺阿弥陀寺か混乱が続いたが、大正天皇が織田信長に対して正一位を贈位された際の伝達式(1917年12月17日)は阿弥陀寺で行われたことがあとがきに、また秀吉の遺体は方広寺大仏殿裏手・阿弥陀ケ峰に埋葬され、明治中期、朝廷のお声掛かりで発掘されたが、開封と同時に崩れ落ちほとんど形骸を残さなかったことが本文末尾で述べられている。  


Posted by 風車 at 20:13Comments(0)